古代エジプトでは、シリウスは豊穣の女神ソプデト(古代ギリシア語: Σῶθις、Sothis)として知られていた。シリウスは最も初期の天文記録にも記録されている。エジプト中王国時代、エジプト人はシリウスのヒライアカル・ライジングを基にEgyptian calender(英語版)を作り上げた。シリウスがヒライアカル・ライジングを起こす約70日後[31] に、夏至とナイル川の氾濫が起きるため、とても重視されていた[32]。
エジプトのアレクサンドリアにいたクラウディオス・プトレマイオスは、著書アルマゲストの7巻と8巻に星表を記している。プトレマイオスは、地球の中心子午線の場所としてシリウスを使用した。しかし、奇妙な事に、プトレマイオスは青白く輝くシリウスを「赤く」輝く6つの恒星の1つとしている(通常、若い星は青く小さく、年を経るにつれて赤く大きくなる)(以下の色に関する論争を参照)。他の5つの恒星はアークトゥルスやベテルギウスのようなスペクトル型がM型からK型の赤色巨星を指している[33]。
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恒星の色の違いは、表面温度の違いによります。
温度が高いと光は青く見え、温度が低いと光は赤く見えます。
ヒライアカル・ライジング (heliacal rising) [1]は、ある天体が太陽を伴って東の地平線から昇る現象のことである。伴日出(はんにちしゅつ)、日出昇天(にっしゅつしょうてん)ともいう[2]。
ただし、現実に太陽とともに出てしまっては、太陽の光が強いためその天体を視認することはできない。そのため、実際には太陽が昇る直前に天体が昇ることをいう。古代エジプトにおけるソティス(シリウス)のヒライアカル・ライジングがよく知られている。
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古代エジプト・メソポタミア・ギリシア編集
古代エジプトの遺跡で、星の並びを人などに見立てた図が発見されている。この星座は総称してデカン(英語版)と呼ばれ、一年を360日として10日ごとの区画に割る指標として用いられていた。しかし、一部を除いて同定されていないものが多く、現在も研究が続けられている(エジプト天文学(英語版))。これが記録に残る最古の星座である。なお、現在の88星座に直接結びついてはいない。星同士を結んで星座を作る風習がのちにメソポタミア文明に伝わり(バビロニア天文学(英語版))、ここで現在の星座の原型ができたと考えられる。ただし、エジプトとは独立して、別個に星座を作ったという可能性もある。
最初に決められた星座は、黄道十二星座である。物的な証拠は残っていない。しかし、メソポタミア文明以前から住み着いていた羊飼いによって設定されたという説がある。ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが間接的な証拠とされるが、羊飼いが設定した星座は12個ではなかった可能性もある。ただし、欧米ではこの「羊飼い説」はその資料を探すのも困難で、物的資料からも星座の起源は紀元前5世紀ごろとされて久しい。日本でのみ羊飼い説が信じられている。しかし、最近の関連図書ではようやく紀元前5世紀が正しいとするものも出てきた。
これらの黄道の星座はメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となった。メソポタミアのムル・アピン(英語版)粘土板(紀元前6世紀、写しは大英博物館蔵)には、黄道十二星座を含め66の星座のリストが存在し、メソポタミアの神に基づくエンリルの道、アヌの道、エアの道に大別される。これらは古代エジプトを通じて古代ギリシアに伝わり、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定した。ギリシア人が設定した星座にはみな神話がついている。
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… 古代エジプトにおいて,毎年ナイル川が増水しはじめるころ,シリウスという全天でいちばん明るい恒星が太陽に先駆けて薄明の東の空に見えるようになる。多年にわたる観測の結果,この事実が発見され,ナイル川の洪水時期はシリウスの日出前出現(ヒライアカルライジングheliacal rising)によって予見された。洪水の去ったあとの肥沃の土地に耕作したエジプトの1年は,洪水期,播種(はしゆ)期,収穫期で成り立ち,世界で最初に太陽暦が使用された。…
【シリウス】より
…古代エジプトではソティスといい,女神イシスと同一視され,ことさら崇拝された。この星が日の出直前に東から昇る,いわゆるヒライアカル・ライジングheliacal risingのころが母なるナイルの氾濫(はんらん)期の始まりに一致していたからである。イシスの神殿はシリウスの出没方向に合わせて設計され,ヒライアカル・ライジングの観測によって年始を定めた。…
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